事例 売却済み

nicott、600万円で買った潰れかけのマツエクサロンが21店舗・年商約8億円へ。買収1か月後に集客の9割が止まった

潰れかけのマツエクサロン1店舗を600万円で買収し、取材時点で直営15店舗・FC6店舗、マツエク事業だけで年商約8億円。ただし買収1か月後にホットペッパーの掲載が半年止まり、当時の集客の9割を失うところから始まっている。

執筆: Small Start 編集部(公開情報の要約+独自分析)

nicott、600万円で買った潰れかけのマツエクサロンが21店舗・年商約8億円へ。買収1か月後に集客の9割が止まった

600万円で買った1店舗が、取材時点で直営15店舗とFC6店舗、マツエク事業だけで年商およそ8億円になっている。ここまで伸びたのだから、買った時点で筋の良い事業だったのだろう。ところが出典は、その読みを正面から否定している。M&Aプラットフォーム TRANBI が2023年10月10日に公開した成約者インタビューで、買い手の株式会社nicott代表・田村雅也氏は「業績面は一切気にしていません」と語り、そのうえで「もし同じ案件が出ていたとしても、今の僕なら100%買いません」と付け加えている。

買った先も TRANBI ではない。田村氏がマツエクサロンを見つけたのは個人運営のような小規模なM&Aサイトで、直接問い合わせて買っている。TRANBI で扱ったのは、後述するFC学習塾の売却のほうだ。

600万円の中身

項目内容
買収額600万円(引き継ぎ時に約20万円の減額請求)
買収時のマツエク事業の年商約1,000万円
買収時の状態オープン1年半でようやく黒字化、通算では赤字
契約書上のスタッフ3名(実際に働いていたのは1名)
取材時点の店舗数直営15店舗+FC6店舗=21店舗
取材時点のマツエク事業の年商約8億円(翌期は10億円超の見込み)
本部の人員田村氏1人(給与計算のみ外注)

nicott の会社概要によれば、設立は2016年12月、資本金800万円、所在地は大阪市北区中津。田村氏は船井総合研究所で美容室専門のコンサルティングを経験したのち独立した人で、本業はいまも美容サロン向けのコンサルティングである。マツエクサロンの買収は「M&Aを主軸としたコンサルを展開する」ための勉強代として始まった新規事業で、当初は再建して売却する前提だった。

買った理由は業績ではなく住所である。田村氏が探していたのは梅田・天王寺・難波といった繁華街の案件で、集客が見込めて立て直せる地域にあることが条件だった。高値掴みと知りながら600万円を出したのも、カウンセリングシートのようなツール類、使用する商材、その保管方法といった「サロンの細かい部分」を丸ごと手に入れる速さを買ったからだと説明している。

なお TRANBI の記事見出しは「売上100倍へ!」と打っているが、本文の数字は約1,000万円から約8億円なので80倍である。当サイトはインタビュー本文の数字を採る。

「スタッフはいない、広告は出せない」

引き継ぎは荒れた。まず、交渉時の書面に入れた「人材採用のサポートを行う」という条文が実行されず、仲介した会社からは法律論で強制力はないと収められた。田村氏は減額請求で約20万円を下げてもらうにとどまっている。次に、3人いると聞いていたスタッフが事実上1人だった。残る2人は籍があるだけで、引き継ぎ後は一度も出社していない。そしてその1人からも「辞めたい」と言われている。

決定打は集客だった。当時この店は集客の90%以上をホットペッパーに頼っていたが、買収前の施術についてのアレルギー関連の口コミが入り、半年間の掲載停止になった。口コミが入ったのは買収の1か月後である。本人の言葉ではこうなる。「買ったはいいけど、スタッフはいない、広告は出せない」。

この案件でいちばん高くついたのは600万円という価格ではない。契約書に書いた支援条項が1円分も動かなかったことだ。売り手の人員支援を織り込んだ計画は、その条項に強制力がないと分かった瞬間に崩れる。値付けの当否より先に、条項が履行されなかったときに何が残るかを見たほうがいい、というのがこの引き継ぎから読み取れる構造である。

オプション額の10%を返す、という一行

半年は集客の9割を失うのだから赤字は確定している。田村氏は割り切って、次につながる行動に切り替えた。他の集客方法を試し、来店した客への提案を徹底的に組み直す。本人は「ノウハウはこの時期にほぼ出来上がった」と振り返っている。

中心にあったのは2つの決めごとだ。ひとつは、来店客にオプションメニューを積極的に提案すると決めたこと。当時はグルーポンにも掲載していて、事前に格安チケットを買った客は来店時に1円も払わない。だからこそ、より良い毛質のエクステやトリートメントを上乗せする余地があった。もうひとつは、提案して売れたオプション額の10%をスタッフに還元するルールを作ったことである。売上は最初まったく伸びなかったが、徐々に改善し、単価が上がっていった。

効果は金額だけではなかった。サロンのスタッフには「低単価で施術をしたくない」「高単価のサービスを提供したい」というプライドがある、と田村氏は言う。単価が上がったことでスタッフ自身が「うちは高単価のサロン」と認識するようになり、それが会社の文化になった。取材時点では月収70万円に達した26歳の女性スタッフもいる。

給与制度も同時に開いた。美容業界では給与計算や評価制度がブラックボックスになりがちだが、田村氏はそれを全部バックヤードに貼り出し、スタッフが自分の給与を自分で計算できるようにした。還元はオプション販売分、全体売上分、1人で7人以上の客に入った分と多段に分かれていて、売上の40〜50%を返す一般的なパーセントバックとは設計が違う。狙いは「入客したくなる仕組み、オプション提案したくなる仕組み」だと本人は説明する。

田村氏は成長の勝因として集中出店・未経験採用・8割経営の3つを挙げる。ただ、数字の順序はそう並んでいない。掲載が止まって集客が死んだ半年に作られたのは単価と報酬の設計であり、出店戦略はそれを複製する段の話だ。立て直しの中身は集客の回復ではなく、提案するほど給与が増える配線だった、と編集部は読む。

出店するのは4駅だけ

複製の段に入ってからの打ち手は、どれも広げない方向に効いている。

出店エリアは梅田・天王寺・難波・京橋のみで、同じビルに別店名で出している店まである。商圏が被るのを嫌って同一エリアを避ける経営者が多いなか、田村氏の計算は逆だった。ホットペッパーに梅田エリアで200店舗が載っているなら、そのうち半分は利益が出ているはずで、つまり100店舗分の市場が存在する。近接していればスタッフの異動も通しやすく、退職理由の大半を占める人間関係の問題に配置転換で対応できる。

大型店は作らない。固定費が増えてリスクが上がるためで、固定費比率は小型店のほうが高いと分かったうえでそちらを選んでいる。小さければ閉店もしやすい。揉め事が起きない人数は最大4〜5人という経験則も、店の上限を決めている。

採用は未経験者を積極的に採り、スキルは問わない。未経験からでも売上を上げられる仕組みがあるからで、独立志向の強い経験者より長く働く人を選ぶという方針だ。直営15店舗の募集も面接も田村氏がひとりでやっている。掲げているのは「8割経営」で、スタッフに100%や120%を求めず、店舗間の競争もさせない。取材時点では、給与意識が高くなったスタッフが頑張りすぎるという逆の弊害が出ていて、休日を週2日から3日に増やす提案を検討している段階だった。

本部の人員は田村氏だけで、店舗開発も採用も経理も自分、外注しているのは給与計算だけだ。21店舗を本部1人で回すこの構造で、成長の律速になっているのは物件でも資金でもなく田村氏の時間そのものである。メールのやり取りだけで開いた店舗があるほど仕組み化は進んでいるが、採用面接だけは当面誰にも渡さないと本人が明言している。

同じ人が、塾では2年で1,700万円を失っている

買い手側の成功だけ読むと再現性の話に見えるが、同じ2年の中に失敗が並んでいる。

田村氏はFC展開を決めたとき、伸びているFCのノウハウを取り入れるために学習塾FCへ加盟している。最初に約1,000万円を投じ、2年近く経営して累計赤字は約1,700〜1,800万円。売却時に回収できたのは300万円だけで、勉強代として手放した。売却先を探したのが TRANBI だった。

うまくいかなかった理由として本人が挙げるのは、ビジネスモデルの違いである。美容サロンは客が増えていく積み上げ型だが、塾は3月・4月に生徒が増え、1月・2月の卒業でまたゼロに戻る。このサイクルが合わなかった。加えてFC本部の集客シミュレーションは当たらず、加盟店が増えすぎて1店舗あたりの集客数は既に落ちていた。本人は「売上拡大に対する興味を失ってしまった結果、一番の肝である集客がまったくできませんでした」とも書いている。

600万円の買収と1,700万円の損失は、同じ人物が同じ時期に下した判断だ。違いは業種の知識量ではなく、自分が売上を伸ばす動機を持てる事業かどうかにあった。

年商8億円の内訳は出ておらず、赤字の半年は本業が支えた

取材は2023年10月時点で、年商約8億円も21店舗もマツエク事業全体の数字である。直営とFCの内訳、利益、1店舗あたりの売上はいずれも公開されていない。買収額600万円が妥当だったかは本人が「今なら100%買わない」と否定しているとおりで、この事例から取れるのは値付けの正解ではない。そして掲載停止の半年を赤字のまま耐えられたのは、本業のコンサル事業で赤字をカバーできる範囲に案件を絞っていたからだ。田村氏自身「生きるか死ぬかの勝負をM&Aでやっては絶対にダメ」と言っている。

あわせて読みたい

同じスモールM&Aの買い手側では、金額の幅がそのまま打ち手の幅になる。無職の状態から100万円級の案件を積み上げて3事業のオーナーになった約20件の買い申込の記録、200万円で埼玉のサロンを承継して名古屋から遠隔で回している51歳会社員の事例、そして600万円の本件と並べると、価格帯ごとに引き受けている再建の重さが違うことが見えてくる。

買収直後に事業が止まる話も本件だけではない。社員2名のマーケティング会社がコーヒースタンドを買って5ヶ月の休業を挟んだ事例は、引き継ぎ直後の空白をどう埋めるかという点で同じ問題を扱っている。

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