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長期滞在8割の旅館を6カ月で承継。候補4人から選ばれたのは「屋号を変えない」と言った地元企業

秋田県横手市のビジネス旅館ますだは長期滞在客が約8割で黒字経営だったが、オーナーの鈴木正則氏が脳梗塞を発症し承継を決断。候補4名と面談し、屋号継続を申し出た地元企業へ約6カ月で譲渡した。

執筆: Small Start 編集部(公開情報の要約+独自分析)

長期滞在8割の旅館を6カ月で承継。候補4人から選ばれたのは「屋号を変えない」と言った地元企業

黒字の事業が売りに出る理由は、業績以外のところにある。秋田県横手市の「ビジネス旅館ますだ」がまさにそれだった。客の約8割が長期滞在で、収益の見通しは立てやすい。それでもオーナーの鈴木正則氏は譲渡を決めた。理由は脳梗塞である。

福島県出身の鈴木氏は、60歳の定年退職後に知人を通じてこの旅館の経営を引き継ぎ、単身で秋田へ移住した。数年間経営を続け、黒字化を実現している。その事業を、2023年7月末の募集開始から約6カ月で、同じ横手市の企業へ引き渡した。金額は非公開だ。

経緯

時期出来事
60歳・定年退職後鈴木氏が知人を通じてビジネス旅館ますだの経営を引き継ぐ。妻子を福島に残し、単身で秋田へ移住
経営期間中顧客の大半は建設現場の出張者。長期滞在客が約8割。黒字経営を実現
取材の2年前仕事中にめまいと吐き気の症状。診断結果は脳梗塞。入院中、コロナ禍の面会制限を経験
2023年7月末バトンズで募集開始
選考4名の候補者と面談
2024年1月同じ秋田県横手市でサービス業を営むハートライン株式会社と契約締結。募集開始から約6カ月
承継後「ビジネス旅館ますだ」の屋号を変えずに継続運営

長期滞在8割という収益構造

この旅館の顧客はほとんどがビジネスマンで、建設現場の出張者が中心である。鈴木氏は「ビジネス旅館ますだを利用するお客様の殆どはビジネスマンです。長期滞在が8割ほどに上ります」と語っている。

宿泊業として見たとき、この比率は特異な意味を持つ。観光需要中心の宿は、季節変動・天候・イベントの有無に稼働率が左右され、週末と平日の落差も大きい。一方、工事案件に紐づく長期滞在は、工期という単位で需要が発生する。一度入れば数週間から数カ月にわたって部屋が埋まり、予約獲得のための販促コストも、日々の客室清掃・受付対応の負荷も、宿泊単価あたりで低く抑えられる。

鈴木氏が「料理はいいものを出してあげたいと思っていたので、そこのバランスは意識して考えていました」と述べているのも、この構造と噛み合っている。毎晩同じ客に食事を出す前提であれば、料理の質は満足度に直結し、次の工期でもまたこの宿を選ぶ理由になる。単発の観光客相手なら販促に回すはずの原資を、食事という滞在中の体験に振り向けた形だ。定年退職後に未経験から引き継いだ人物が数年で黒字を出せた背景には、この需要構造の読みやすさがある。

決断の転機と、選定の転機

この事例には転機が二つある。

一つ目は、譲渡そのものを決めた瞬間だ。2年前、仕事の途中でめまいと吐き気に襲われ、診断は脳梗塞だった。入院中はコロナ禍で面会が制限され、そこで真っ先に浮かんだのが家族のことだったという。「妻も子どもも福島にいるので、地元に戻って病気を治した方がいいと思いました」。経営が順調であるかどうかは、この判断にまったく影響していない。単身赴任という形で成り立っていた事業が、健康を失った瞬間に継続不能になる。地方の個人経営で頻繁に起きる構図である。

二つ目は、譲渡先を絞り込んだ基準だ。4名の候補者と面談した鈴木氏が挙げた決め手は「同じ秋田県横手市で事業を営む会社だったという点です。候補先の中で一番横手市の状況を把握している方だったので、安心感がありましたね」というものだった。

裏返して語られた他候補への印象が鋭い。黒字経営できている事業のため、秋田に来たことがない状態で売上数字だけを見て「買いたいです」と言われているように感じた、というのである。数字が良いことが、かえって「数字しか見ていない買い手」を引き寄せた。

そして決定打は、承継先のハートライン株式会社の代表・加藤氏が「ビジネス旅館ますだという名前を変えずに、そのまま継続してやりたい」と申し出たことだった。加藤氏は若い世代ながら経営能力があると評価された人物で、同社にとってこの旅館は新規事業への参入にあたる。

屋号継続が、なぜ条件として効いたのか

「名前を変えない」という約束は、感情論として片づけられがちだ。だがこの事業では実利がある。

顧客が建設現場の出張者であるということは、宿の予約が個人の思いつきではなく、施工会社や現場責任者の手配ルートに乗って発生している可能性が高いということだ。「横手ならますだ」という指名が業者側の記憶と手配ルーチンに埋め込まれているなら、屋号はブランド以前に予約が流れ込む導線そのものである。改称は、その導線を自ら切断する行為になる。

同じ理屈で「地元企業であること」も効く。横手市の状況を把握しているとは、どの現場がいつ動き、どの事業者が人を送り込んでくるかという地域の商流を知っているということだ。これは決算書には現れず、遠方の買い手が短期間で獲得することも難しい。鈴木氏の安心感は、承継後に事業が回るかどうかの実務的な判断と一致していた。

再現できること、できないこと

再現できるのは、売り手側の設計である。募集開始から契約まで約6カ月、候補者は4名と面談した。多数の候補を集めて競らせるのではなく、事業の性質に合う相手が現れるかどうかを見た。譲れない条件(ここでは屋号の継続と地域理解)を先に言語化していたからこそ、この規模の面談数で決められている。バトンズの担当者に契約回りをほぼ任せ、「最後まで面倒を見てくださってすごく安心しました」と述べている点も、個人オーナーが実務負荷を外部に寄せた例として参考になる。

売り手が承継先に求める条件を「価格の高さ」に置かなかった点も見ておきたい。4名の候補のうち、鈴木氏が距離を感じたのは数字だけを見て手を挙げた側だった。買い手側から読むなら、黒字の地方案件で選ばれるために必要なのは提示額の上積みではなく、現地に足を運び、その地域で事業が成り立っている理由を自分の言葉で説明できることだったことになる。少なくともこの案件では、それが4分の1に絞り込まれる基準になっている。

再現しにくいのは、需要そのものだ。建設現場の出張需要は地域の工事量に依存する。工期が途切れれば長期滞在8割という構造は崩れ、その振れ幅を宿側でコントロールする手段は乏しい。買い手が地元企業であることが有利に働くのも、この需要の読みが地域情報に依存するからである。

もう一点、承継後の業績は公表されていない。この事例から読み取れるのは、黒字で回っている事業を健康上の理由で手放すときに、何を基準に相手を選ぶかという判断過程までだ。鈴木氏は「良いお相手に引き継いでもらうことができたので、肩の荷がおりました。今後は病気を克服するために、治療に専念したいですね」と語っている。60歳の定年退職を起点に始めた経営が、数年で次の担い手に渡った。定年後に事業を持つという選択には、こうした出口をあらかじめ想定に入れておく必要がある。

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出典

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