公庫に断られ、自分の資産を売って買った——楽天20年の時計ベルトECを1年8カ月かけて承継
楽天市場で20年以上続く時計ベルト店「アビーロード」を、水産商社勤務の斉木克仁氏が承継。一度は予算オーバーで見送った案件に戻り、公庫融資が否決された後は保有資産を売却して資金を工面。交渉は約1年8カ月に及んだ。
執筆: Small Start 編集部(公開情報の要約+独自分析)
後継者不在の事業を、会社員が個人で引き継ぐ。近年よく見る構図である。ただしこの事例が目を引くのは、譲受人が一度は候補から外した案件に戻ってきたこと、そして日本政策金融公庫の融資が否決された後、自分の保有資産を売って買ったことにある。
譲渡側は株式会社TMプラネット(岩手県盛岡市)。時計ベルトの製造・販売を手がけ、楽天市場で「腕時計とバンドのアビーロード」を20年以上運営してきた。月間優良ショップ賞を多数受賞している店舗である。代表の田口氏が後継者不在を理由に譲渡を決めた。
譲受人は合同会社アシークの斉木克仁氏。都内の水産系商社に勤めながら独立を模索していた中小企業診断士である。交渉期間は約1年8カ月。金額は非公開だ。
成約までに起きたこと
| 局面 | 内容 |
|---|---|
| 20年以上前〜 | TMプラネットが時計ベルトの製造・販売を開始。楽天市場店「腕時計とバンドのアビーロード」で月間優良ショップ賞を多数受賞 |
| 案件掲載時 | 斉木氏は掲載価格が予算オーバーだったため、いったん候補から除外 |
| 条件変更後 | 「内容次第ではなんとかなるかもしれない」と判断し、再度交渉を開始 |
| 交渉期間中 | 斉木氏が盛岡を訪問し、田口氏と初対面。東北出身同士で意気投合し、再提示金額よりさらに譲歩を得る |
| 資金調達 | 日本政策金融公庫に相談するも否決。保有資産を売却して資金を確保 |
| 成約直前 | 田口氏から「自分が起こした事業をきちんと将来につなげていってほしい」というメッセージが届く |
| 成約後 | 田口氏が1年間、顧問として伴走 |
| 通算 | 交渉開始から成約まで約1年8カ月 |
なぜ時計ベルトだったのか
斉木氏の案件選定基準は明快である。「地理的制約が少なく、既に実績がある低リスク事業」であること。そして「ニッチな市場で競争相手が少なく、安定売上が見込める」こと。時計ベルトという商材は、この二つの条件を同時に満たしていた。
時計ベルトは、時計そのものに比べて市場が小さい。市場が小さいということは、資本力のある新規参入者が寄ってこないということでもある。斉木氏が新規参入の少なさを評価したのは、この構造を読んだからだ。加えてECであるため、盛岡の事業を東京から運営できる。会社員として勤務を続けながら独立準備を進める人間にとって、この地理的自由度は決定的な要件だった。
そしてもう一つ、斉木氏は20年以上続いていること自体を与信として扱っている。決算書や月商の数字ではなく、継続年数を信用の根拠に据えた。楽天市場という競争の激しい場所で20年生き残り、月間優良ショップ賞を繰り返し受賞している。この履歴を、単独で買う理由に足ると判断したのである。
潮目が変わったのは、盛岡に行ったとき
この案件で軌道が変わった瞬間は特定できる。斉木氏が実際に盛岡へ足を運び、田口氏と直接会った日である。
順序が重要だ。斉木氏は最初、掲載価格が予算に合わず候補から外していた。その後の条件変更で再交渉が始まり、面談のために盛岡を訪れる。そこで東北出身同士という共通点から意気投合し、結果として再提示された金額よりもさらに譲歩を引き出した。
つまり「価格が下がったから会いに行った」のではなく、「会いに行ったからさらに下がった」。小規模M&Aの価格が、財務指標だけでなく譲渡人の心理で動くことを示す典型例である。田口氏が成約直前に送った「自分が起こした事業をきちんと将来につなげていってほしい」というメッセージ、そして譲渡後に1年間の顧問を引き受けた事実は、田口氏にとってこの取引が換金作業ではなく承継だったことを裏づけている。買い手が「事業を将来につなげる人間である」と信じられたかどうかが、価格に反映されたと読める。
融資否決という現実的な壁
一方で、この事例には成功譚だけでは済まない部分がある。日本政策金融公庫への融資相談は否決された。譲受側がEC未経験であること、そして資金使途が買収資金であることが、審査上のハードルになったとされる。
これは個人M&Aの構造的な問題を突いている。「実績のある事業を買う」というのは買い手にとって低リスクな選択だが、金融機関から見れば、買い手本人にその業種の運営実績がないという一点でリスク評価が跳ね上がる。事業の実績と買い手の実績は別物として審査される。
斉木氏はここで保有資産を売却して資金を確保した。「絶対に投資する価値がある」という判断のもとでの決断だが、裏を返せば、売却できる資産を持っていなければこの案件は成立しなかった。手元の流動性を大きく削って買い付けている以上、承継後に想定外の運転資金需要が生じた場合の耐性は薄い。記事では触れられていないが、構造上の論点として残る。
再現できる部分と、できない部分
再現しやすいのは、案件選定の考え方である。ニッチで参入障壁が高く、地理的制約のない事業を狙う。継続年数を与信として読む。一度予算が合わなくても、条件変更を待って戻る余地を残しておく。そして必ず現地に行き、譲渡人と直接会う。いずれも資本規模に依存しない振る舞いだ。
再現しにくいのは三点ある。売却して資金化できる保有資産があったこと。中小企業診断士という資格と商社勤務の実務経験が、譲渡人に対する信頼の裏付けになっていたと考えられること。それに、東北出身という属性が偶然にも譲渡人と重なったこと。最後の要素は狙って作れない。
また、約1年8カ月という交渉期間そのものが参入障壁である。本業を続けながら1年半以上一つの案件を追い続けられる時間的・心理的余力は、誰にでもあるわけではない。
承継後、斉木氏はアビーロードの信頼と歴史を守りながらEC市場での成長を軸に据え、実店舗とのシナジーや同カテゴリでの新展開も検討するとしている。楽天市場という単一チャネルへの依存をどう扱うかが、次の論点になるだろう。20年分の実績はモール内での評価として蓄積されたものであり、その資産は自社ECへ丸ごと持ち出せるものではない。買った信用が特定のプラットフォーム上にしか存在しないという条件は、モール型EC承継につきまとう。
もう一つの事業と、その手放し方
アシークにはEC以外の顔もある。斉木氏は青森県八戸に営業所を構えているが、その設立理由は事業機会の発見ではなかった。実家が営んでいた60年近い歴史を持つ繊維卸事業の従業員から「まだ働きたい」という声が上がったことがきっかけである。シニアの就業機会を作るために営業所を開いた、という順序だ。
興味深いのは、斉木氏がこの八戸事業について譲渡も選択肢の一つとして検討していると語っている点である。理由は自身に作業着・タオル分野の専門知識が不足していること、そして問屋業界で合従連衡が進んでいること。「より強固な基盤を持つ企業のもとで事業を継続したほうが、地域にとって良い形になる可能性が高い」という判断だ。
買う側の論理と、手放す側の論理を同一人物が同時に持っている。アビーロードでは「20年続いた事業を自分が引き受ける」と判断し、八戸では「自分より適した担い手がいるかもしれない」と判断する。判断基準が「自分が持ちたいか」ではなく「事業が続くか」に置かれている点で、両者は一貫している。中小企業診断士の資格を活かし、北東北三県の高齢経営者の事業承継支援や、行政書士・社会保険労務士など専門家によるM&A支援事業も構想しているという。承継を受ける側から、承継を支える側へ回る流れである。
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出典
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