従業員7名・創業64年のバックミラー町工場が第三者承継。地元で不発、全国公開で即マッチ
大阪府でアルミミラー加工を営む従業員7名の株式会社尾崎鏡工業所が、2024年9月に愛知県のMARUJOU株式会社へ会社譲渡。1960年創業、1970年株式会社化。地元中心の紹介では反応が薄く、バトンズ掲載直後に問い合わせが入り成約した。譲渡額は非公開。
執筆: Small Start 編集部(公開情報の要約+独自分析)
自動車のバックミラーは、ついていて当たり前で、なければ運転そのものができない。大阪府でそのアルミミラーを64年間つくり続けてきた株式会社尾崎鏡工業所は、2024年9月、愛知県でガラス製品の製造加工を手がけるMARUJOU株式会社へ会社を譲渡した。従業員7名。息子2人は別の道に進み、従業員に打診しても「とても僕らでは」という反応だった。金額は非公開のため、ここで検証できるのは価格ではなく、後継者不在の町工場が買い手に出会うまでの経路である。結論から言えば、この事例の分岐点は買い手選びではなく、探す範囲を大阪から全国に切り替えた一手にある。
会社と承継のデータ
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 譲渡企業 | 株式会社尾崎鏡工業所(大阪府)。製造・加工業(アルミミラーなど) |
| 創業 | 1960年(昭和35年)に先代が個人の工場として開始。1970年(昭和45年)に株式会社化 |
| 従業員 | 7名 |
| 事業内容 | 創業時からアルミミラーの加工に特化。社内一貫で切断から研磨まで対応し、小ロット多品目の加工受注を受ける。新規参入は殆どなく得意先から重宝されてきた |
| 二代目 | 尾崎浩三様(1960年生まれ、創業と同年)。大学卒業後に入社、50代で経営を承継 |
| 譲渡理由 | 後継者不在(息子2名は継ぐ意思なし、従業員も辞退) |
| 譲受企業 | MARUJOU株式会社(愛知県)。ガラス製品の製造加工。譲受理由は技術力・開発ノウハウの強化 |
| 譲受側代表 | 中山豪社長(45歳) |
| 支援機関 | 地元信用金庫 → 大阪府事業承継・引継ぎ支援センター → 大阪商工信用金庫(白尾谷吉邦課長代理) |
| 成約 | 2024年9月(バトンズ掲載) |
| 譲渡額 | 非公開 |
継ぐつもりで入った会社を、継がせる相手がいなくなるまで
尾崎鏡工業所は1960年、浩三様の父が個人の工場として始めた。浩三様が生まれた年と同じである。高度成長期のなかで仕事が増え、1970年に株式会社化した。幼い頃から父の背中を見て育った浩三様は、自分がいずれ継ぐものと自然に思い、大学卒業後そのまま家業に入っている。
経営のバトンは一直線には渡っていない。父が40代の頃に大病を患い、しばらく浩三様の叔父が会社を継いだ。浩三様に経営が移ったのは50代になってからだ。従業員のなかには浩三様が小さい頃から知っている長年勤続の社員もいる。「社員が7名の小さな会社とはいえ、家族のような形で続いてきた会社ですから。会社を継いだとき、『社員全員の生活を自分が守っていく』という責任を感じました」。
事業内容は狭く深い。創業時からアルミミラーの加工に特化し、切断から研磨まで社内一貫で行い、小ロット多品目の受注に対応する。新規参入は殆どなく、得意先から重宝されてきた。参入が少ないということは、競争が緩いと同時に、業界内に「この設備と技術を欲しがる誰か」も少ないということでもある。この二面性が後の展開に効いてくる。
「70代でいい」を「今」に変えたのは支援機関の一言
承継を考え始めた理由は後継者不在だった。息子2人はそれぞれの道に進んで継ぐ意思がなく、従業員に打診しても「とても僕らでは」という反応で、押し付けるのは違うと判断した。「昔はM&Aというのはあまりピンとこんかったんですが、昨今そういった話を聞くようになって、うちでもできるのかな、と」。
地元の信用金庫経由で大阪府事業承継・引継ぎ支援センターに相談すると、M&Aは現実的な選択肢だと背中を押された。ただしこの時点でも浩三様の腹づもりは「あと5年くらいは頑張って、70代になってから譲り先が見つかればいい」というものだった。ここが最初の分岐である。
「信金さんや引継ぎ支援センターさんと話をする中で『あんまり切羽詰まってからするよりは、年齢的にも余裕のあるうちに話を進めておいた方がいいですよ』とアドバイスをいただきまして。そういうものかと覚悟を決めて動き出してみたら、トントン拍子に進んだんです」。
この助言の実質的な意味は、体力と判断力が残っているうちなら「売り手が働き続けながら引き継ぐ」という選択肢が使える、という点にある。実際、成約後も尾崎夫妻は会社に残って仕事を続けている。70代まで待っていたら、この形は取れなかった可能性が高い。時間的余裕は、価格ではなく承継の設計自由度として効く。
支援先には、以前から付き合いのあった大阪商工信用金庫を選んだ。決め手として和枝様が挙げているのは担当者の言葉である。「『うちはM&Aで儲けようとは思っていません。たしかに成功報酬はありますが、M&Aによってその先も会社が存続・成長することで、今後もその会社様とお付き合いが続く。M&A後の存続・成長支援こそ、私たちが目指すところなんです』とお話くださったんです」。
決定打は、探す範囲を大阪から全国に広げたこと
ここが本件で最も再現価値の高い一手だ。当初、大阪商工信用金庫は大阪を中心に候補先を紹介していたが、和枝様の表現では「なかなか手堅い反応がなくて」という状態が続いた。そこで金融機関側からバトンズへの掲載が提案される。
支援側の白尾谷様のコメントは、その理由を明確に説明している。尾崎鏡工業所の事業は「非常にニッチな事業領域」であり、入口で候補先企業への説明にズレが生じればトラブルにつながりかねないため、まず自身が入念な事業理解に努める必要があると感じたという。そして「事業がニッチである分、我々のネットワークだけで候補先を探すことに難航し、バトンズで全国からマッチングを募る決断に至りました」。
結果は劇的だった。「そしてバトンズで公開後、すぐにご連絡をいただいたのがMARUJOU様でした」。地元ネットワークでは手応えのないまま推移した案件に、全国公開の直後に反応が出ている。年末に反応があり、正月明けに大阪へ来る予定があるから会社を見せてほしい、という連絡だった。
メカニズムは単純である。アルミミラー加工の小ロット多品目という事業を「買って伸ばせる」と判断できるのは、隣接技術を持ち、加工領域を広げたい製造業に限られる。この母集団は地理的にランダムに散らばっており、大阪府内に何社いるかは運でしかない。母集団が薄い事業ほど、探索範囲を地理から属性に切り替える必要がある。実際に手を挙げたMARUJOUは愛知県のガラス製品加工業者であり、譲受理由は「技術力・開発ノウハウの強化」だ。近い技術・遠い地理という組み合わせは、地元中心の紹介では原理的に出てこない。
一社目で決めた根拠は「条件を一つに絞っていた」こと
和枝様は初回訪問の印象をこう語る。「挨拶程度なのかな、と軽い気持ちでお迎えしたら、中山社長ご本人が直接いらして、たくさん質問してくださって。真剣にうちを買う気できてくれてはるんだなと、熱意を感じましたね」。浩三様は「45歳という若さにしてはしっかりされていましたし、話を進めていこうかなと思えましたね」と述べ、他社と比較せず交渉を進めることを決めている。
比較しない判断が成立したのは、譲受先に求める条件が絞られていたからだ。浩三様は「引継ぎ先に求めるこれといった条件は特になくて」と言いつつ、譲れない一点を明示している。「父が作った会社ですし、私も小さい頃からずっと父親の仕事ぶりを見て、子供ながらに『世の中の役に立ってる』と感じていた仕事です。どんな方であっても、父の精神は受け継いでいってほしい」。支援側が把握していた条件はさらに具体的で、「従業員の継続雇用」だった。
一方の中山社長は初回面談で「日本の中小企業の製造業を残していかなければならない」という考えを語っている。白尾谷様が「お互いのニーズが合致するのではないかと感じました」と書いているのは、この一点が噛み合ったことを指す。条件が一つなら、その一つが満たされた時点で交渉は終わる。条件が多いほど比較検討が必要になり、比較検討が必要なほど時間がかかる。ニッチ事業で買い手候補が少ない売り手にとって、条件を絞ることは価格を諦めることと引き換えに成約確度を上げる取引である。
和枝様の発言は、この取引を別の角度から説明している。「私たちがこのまま会社を続けていたら、なんとか潰れないように今のことを続けるくらいで、年齢的にも、新しいことをやろうという発想はもうなかった。それだったら、中山社長に引き継いでもらった方が、会社としてもいいんじゃないかと感じましたね」。浩三様はこう続ける。「変な表現かもしれないですけどね、その方が、会社が喜ぶんじゃないかと思ったんです」。
数字で確認できないこと
この事例で公表されているのは、創業年、株式会社化の年、従業員7名、成約時期、譲受側代表の年齢といった輪郭だけである。売上高、利益、取引先数、設備の内容、そして譲渡額はいずれも非公開だ。「得意先から重宝されてきた」も定性的な評価にとどまる。つまり、この承継が経済的に妥当な条件だったかどうかを外部から判定する材料はない。
比較検討をしていない点も、リスクとして記録しておくべきだろう。浩三様自身が、家内の友人が十回以上見合いをした末に「一番最初の方が一番良かったわ」と言った話を引き合いに出し、「私もタイミングをすごく大事にするタイプなので、社長さんを見て『この人なら』と感じたことを信じてみようかと」と説明している。納得ずくの判断であることは明らかだが、価格や条件を市場で試していないことに変わりはない。
さらに、承継の成否はまだ確定していない。成約は2024年9月、記事は同年12月である。尾崎夫妻が残っている状態での評価であり、従業員7名の雇用が長期に維持されるか、技術移転が完了するかは今後の話になる。和枝様は「引継ぎが終わったら退職して、次は自分のやりたいことをやってみようと考えています」と述べており、引継ぎ期間そのものが進行中だった。
持ち帰れる手順と、持ち帰れない前提
手順として再現できるものは三つある。第一に、支援機関の助言を「先送りの許可」ではなく「前倒しの根拠」として受け取ったこと。余裕のあるうちに動いたからこそ、売り手が残って引き継ぐという形が選べた。第二に、地元金融機関のネットワークで反応が薄いと分かった時点で、全国のプラットフォームに切り替えたこと。ニッチであるほど地理で探すのは不利になる。第三に、譲受先への要求を「従業員の継続雇用」に絞り込んだこと。条件の数と成約速度は反比例する。
再現できない前提も同じくらい明確だ。まず、アルミミラー加工という領域は「新規参入は殆どない」と説明されている。参入障壁が競合の少なさを生み、64年分の得意先関係を守ってきた。同じ手順を、参入が容易で代替業者が多い事業に当てはめても買い手の熱意は生まれにくい。次に、浩三様が創業者の実子で、社歴のすべてを知る立場だったこと。技術と取引先の説明ができる当事者がその場にいるかどうかは、ニッチ事業の売却では価格以上に効く。そして夫妻が成約後も働き続ける健康と意欲を持っていたこと。浩三様の言葉はこうだ。「私はね、この仕事が好きやから、辛いことがあっても今までやってこれたもんで、仕事ができる限りは続けていきたい。だから、今度は自分の仕事で中山社長に貢献できるようにしたいですね」。
浩三様はバックミラーという製品についてこうも語っている。「新聞やニュースで取り上げられるようなことはないですが、『バックミラーがあったから助かった』ということも多いと思うんです。人の命を守る仕事、人に安心を与える仕事だと」。表に出ない部品をつくり続けた会社が、表に出ないまま次の経営者に渡った。M&Aの記事としては地味だが、後継者不在の町工場が全国に何万社とある以上、この地味さこそが標準形である。
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出典
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